北マケドニアの魅力を紹介する記事。東京外語会報No.153(2021年)巻頭エッセイとして掲載されたものです。
歴史を乗り越えた北マケドニア
~自然と歴史・文化が融合する国~
はじめに
昨年11月、2代目の大使として北マケドニアに着任した。「マケドニア」と言えば、アレキサンダー大王はあまりにも有名だが、その後この国がどのような歴史を辿ってきたのか、一般的には日本ではあまり知られていない。バルカンの専門家ではない私にとっても、着任以来、見るもの、聞くもの全てが新鮮だった。
北マケドニアは91年に独立した新しい国であるが、古くから多くの民族が行き来した奥深い歴史があり、その歴史・文化と自然が融合した味わい豊かな国だ。また、欧州統合を目指す過程で、国旗や国名を変えてまで困難を乗り越えてきた勇気ある国でもある。本稿では、その北マケドニアの歴史と文化の魅力を紹介したい。
民族の覚醒が遅れた「マケドニア」の歴史
「マケドニア」という地名はアレキサンダー大王の古代マケドニア王国に由来する(ギリシャ、ブルガリア、アルバニアの一部を含む)。山がちなバルカン半島の中心にあって、肥沃な平野と良港(テッサロニキ)に恵まれたため、古代から東西交通の要衝として多くの民族が行き交った。ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国と統治の歴史が変遷し、その間中世ブルガリア帝国、セルビア王国の支配領域でもあった。そのため、民族構成が複雑で、「マケドニア人」としての民族意識の覚醒が遅れたとされる。
オスマン帝国末期に周辺諸国が次々と独立していく中で(1903年、「マケドニア」の自治を求める動きもあったが、オスマン軍に制圧された)、「マケドニア」は権力の空白地帯と呼ばれた。セルビア、ギリシャ及びブルガリアによる領土的野心が重なり合い、バルカン戦争によりこれら3カ国に分割される(この時のセルビア領マケドニアが今の北マケドニアの領土)。第一次大戦後は後のユーゴスラビア王国の中のセルビアの一部であり、第二次大戦後ユーゴスラビア連邦の中でマケドニア共和国となる。
歴史を乗り越え、民族共存のモデルとして欧州統合へ
1991年、ユーゴ連邦の崩壊に伴い、「マケドニア共和国」として独立したが、歴史的背景を巡る困難に直面する。まず、「『マケドニア』はギリシャのもの」とするギリシャの反対に会い、1995年に国旗を変更、長い交渉の末、国名も北マケドニア共和国となった(2018年「プレスパ合意」)。
ブルガリアはいち早く「マケドニア共和国」を承認し、EU加盟プロセスを後押ししたが、言語や歴史上の人物を巡る歴史認識の相違から、一転、EU加盟交渉開始に反対した(「友好善隣条約」(2017年)の履行が不十分と主張)。
人口の25%を占めるアルバニア系武装勢力が2001年政府軍と衝突したが、「オフリド合意」で和解し、教育、言語などで多民族に配慮した共存政策を取り、独立以来、二大政党(注)の何れかがアルバニア系小政党との連立政権を築く(注:SDSM(社会民主党)及び前述のVMRO)。なお、マザー・テレザ氏はアルバニア系でスコピエ生まれだ。
2017年に成立したSDSMザエフ首相政権は、ギリシャとの問題を克服し、2020年NATO加盟を果たし、「民族共存のモデル」として、民主主義、法の支配、自由市場経済を掲げ、EU加盟を最優先課題として取り組む。
自然と歴史・文化が融合する北マケドニア
(1)ユネスコ複合遺産オフリド、スラブ文化発祥の地
アルバニアと国境を分けるオフリド湖(写真)は、欧州最古の古代湖で、南北30キロ、東西15キロに跨り、山に囲まれた雄大な景色が日々刻々と変化し、1日中眺めていても飽きることがない。1994年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞の「ビフォア・ザ・レイン」にもこの美しい風景が登場する。同じく古代湖の琵琶湖と交流がある。
また、オフリドは、中世ブルガリア帝国の首都で、クレメント、ナウムといったスラブの使徒が活動し、スラブ•キリスト教文化を広めたことから、スラブ文化の発祥地と呼ばれる。365の教会があり、中世、ビザンチン芸術、特に、イコン芸術の宝庫として知られる。
(2)ローマの遺跡(ヘラクレア、ストピなど)
オフリド、ビトラ、ストピはローマとコンスタンチノープルを結ぶエグナティア街道沿いにあり、「マケドニア」が古代からバルカンの要衝だったことがわかる。
南北を縦断する高速道路沿いにある「ストピ遺跡」は北マケドニアで最大のローマ遺跡だ。4世紀にキリスト教が公認されると、立派な教会やローマ劇場などが建てられた。ビトラ近郊にある「ヘラクレア遺跡」は、古代マケドニア王国のフィリッポス二世が建設したもので、ローマ/ビザンチンの芸術的な床モザイク画が有名だ。
(3)オスマン帝国の歴史が残る首都スコピエ
首都スコピエにはオスマン帝国の歴史が今も色濃く残る。市の中心マケドニア広場から石橋(15世紀の建築)を渡るとバルカン半島最大級のオールド・バザールがある。モスク、キャラバンサライ、ハンマームなどのオスマン建築が残っており、これらが今文化施設として利用されている。その一つナショナル・ギャラリーで美術鑑賞をした後エキゾチックな商店街を練り歩くと遥か昔にタイムスリップしたかのようだ。
(4)素晴らしい食材とワイン
気候が温暖で年間300日を越える日照があるため、野菜や果物がとても甘い。首都スコピエから南北を縦断しギリシャに抜ける街道沿いには葡萄畑が広がり、ワイナリーが連なる(前述のストピ遺跡もすぐ近くにある)。固有種の「テムヤニカ」は柑橘系独特の香りと清涼感がある。日本文化交流使として訪問した有名シェフは、「マケドニアは食材の宝庫」と絶賛した。
北マケドニアにおける日本
日本のプレゼンスは随所に見られる。1963年、スコピエ大地震があり、その再建計画に丹下健三氏が貢献したことは市民の心の記憶に大きく刻まれている。スコピエはその後近代化されたが、スコピエ中央駅/バスターミナルなどがそのままの形で残る。2020年には、丹下健三記念切手が発行された。
1967年、日本で中世イコン展が開催され、オフリドのイコン博物館から多くの作品が出展された。総監督を務めたコスタ・バラバノフ氏は、半年間日本に滞在する間に日本の芸術、文化に深く感銘を受け、その後、マケドニア日本友好協会を創設し、当時殆ど知られていなかった日本の文化、芸術、日本語などを紹介した。(同氏はその後在スコピエ日本名誉総領事を務めた。)
日本は1996年以来、学校、病院、自治体などに158件の草の根・人間の安全保障無償資金協力やコロナ対策支援を実施し高く評価されている。JICAもダム建設、環境分野、企業家支援、文化無償(オペラ・バレエ楽器、機材供与)など積極的に活動している。
2018年安倍前総理はバルカン地域を訪問し、「西バルカン協力イニシアティブ」を提唱した。これは西バルカン諸国の欧州統合を支援し、そのための社会経済改革を支援するものだ。2019年JETROミッションも派遣されたが、投資も含め経済関係でどのように日本が存在感を高めていくか、今後の大きな課題だ。
澤田 洋典(さわだ ひろのり)(外Po1980)
1980年外務省入省。中南米局、外務報道官組織、総合外交政策局、ブラジル、イタリア、シカゴに勤務。人事課調査官、在アンゴラ大使を経て2020年11月より在北マケドニア大使。
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